高岡市北部地域グリーン・ツーリズム推進協議会
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義経伝説をめぐる
高岡市には多くの源義経の伝説が残っています。
義経伝説をめぐることで、ロマンあふれる万葉の文化を体感してください。
JR高岡駅・・・JR伏木駅・・・如意の渡像・・・JR雨晴駅・・・雨晴海岸・義経岩
源義経(みなもとのよしつね)
平安時代末期の源氏の武将。幼名は牛若丸(うしわかまる)。
平家の命により出家のため鞍馬寺に預けられ、遮那王(しゃなおう)と名付けられる。
鎌倉幕府の初代将軍源頼朝は異母兄である。
文治3年(1187年)、源義経一行が奥州平泉へ下ろうとして、この地を通った際、にわかに雨が降ってきたので、怪力の弁慶が岩を持ち上げ、主人の義経に雨宿りをさせたという伝説が残っており、この地を雨(あま)晴(ばらし)といいます。
義経岩の上には、義経神社がある他、義経の腰掛石、弁慶の足跡といわれる窪みなどがあります。
また、義経岩付近は、三千メートル級の立山連邦から昇る朝日が海を照らす絶好のロケ地として知られ、多くのカメラマンの推奨の地です。
雨晴の海岸より、立山を撮影しようと、多くの人々がやってきます。
14世紀前半(室町時代)に作られた軍記物語「義経記(ぎけいき)」の巻第7に、「如(にょ)意(い)の渡(わたり)にて義経を弁慶打ち奉(たてまつ)る事」の一説があり、奥州へ落ち延びる義経ら一行が、如意の渡りから舟で対岸の六(ろく)渡寺(どうじ)へ進もうとしましたが、渡し守の権頭(ごんのかみ)に「判官義経」と怪しまれ、弁慶が「判官殿と思われたのは口惜しい」と、義経をさんざん打ちのめしたとう逸話が記載されています。
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